文化・芸術

宇野千代~書いた、恋した、生きた。

投稿日:2010年8月15日 更新日:

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【西馬込/文化】宇野千代(うのちよ)。1897年(明治30年)11月28日 – 1996年6月10日山口県生、享年98歳。

大正9年懸賞小説で「脂粉の顔」が1位に入選したのをきっかけに、小説、随筆の第一線で活躍作家として活躍。文化功労者に顕彰される。
二人目の夫、尾崎士郎と大正12年(当時26歳)から昭和5年(当時33歳)の間馬込(南馬込4-18)に住むことになりました。

宇野千代さんHP:http://www.1mcc.com/unochiyo/
NPO宇野千代生家HP:http://www.unochiyoseika.com/

宇野千代の生き様

仕事に誠実で、自分と生活を美しくするべく努め、生きることを心底から楽しむ人生哲学が、「生きることの達人」の手本として今なお多くの者に勇気を与えています。
さらに文学のみならず、彼女の美に対する卓抜な感性と強い信念は、
ファッション誌「スタイル」の発行を経て、着物のデザインに結実し、多くの女性の支持を得ています。(宇野千代展より)

宇野千代の代表作

処女作「脂粉の顔」(懸賞小説で入賞)、「おはん」(野間文芸賞受賞)、「生きて行く私」、「或る一人の女の話」、「色ざんげ」。洒落雑誌『スタイル』を発行。

恋多き宇野千代と馬込

宇野千代は、恋多き馬込のモガさんと呼ばれたそうです。モガとはモダンガールの略語。
尾崎士郎・東郷青児・北原武夫など有名な芸術家たちと結婚・離婚を繰り返した、恋多き宇野千代。
馬込との縁は、出版社で紹介されて、そのまま恋に落ちた尾崎士朗との出会いからでした。

尾崎士郎との出会いエピソード(著書「生きていく私」より)

宇野千代は大正8年8月藤村忠と正式に結婚、翌年卒業後、夫の札幌赴任に伴って(北海道拓殖銀行に勤める為)札幌に転居します。夫を札幌に残して、単身、送ってある小説の件で東京本郷の中央公論社の滝田樗陰に会いに行きます。
そしてその時、「東京へ着くと、私は真っ直ぐに、本郷の中央公論社へ行った。瀧田樗陰(編集長)は社にいた。三階まで駆け上がったので、私は息がきれた。「あの、あの、私のお送りした原稿は、着いてますでしょうか。もう、お読みになって下すったでしょうか」と言うその私の言葉も終わらない中に、樗陰は、そのときすぐ限の前に積んであった、六、七冊の雑誌の一冊を手にとって、ばさりと、私の限の前に投げ出し、「ここに出てますよ。原稿料も持って行きますか」と、まるで、怒ってでもいるように言ったものであった。忘れもしない、それは大正十一年の四月十二日であった。「中央公論」 の五月号に、私の小説『墓を発く』が載っている。私はぶるぶると足が僕えた。眼の前に投げ出された、この夥しい札束は何であろう。あとで正気に帰ったとき、その札束が私の書いた原稿百二十二枚の報酬である三百六十六円だと知ったとき、私は腰も抜けるほどに驚いたものであった。」(「生きていくわたし」)
このあと宇野千代は三百六十六円を持って岩国の実家までもどり、ふただび東京の中央公論社まで戻ってきます。
「瀧田樗陰は社にいた。ほかに先客が二人あった。「これは奇遇だ」と言って、その一人が立ち上がった。それは私も名前くらいは知っていた評論家の、室伏高信であった。「宇野さん、この男は時事新報の懸賞小説で二等になった尾崎士郎ですよ」と、もう一人の若い男を指して、言うではないか。」とこの時尾崎士郎との決定的な出会いがあったわけです。この後二人はしばらくの間、尾崎士郎が下宿していた「菊富士ホテル」に同棲し、その後二人は大森海岸の小さな宿屋や、白田坂の坂下にある下宿屋、山王の森の中にある家、大森と蒲田の間にある鉄道線路の脇の家などに引っ越していましたが、都新聞 学芸部長の上泉秀信の紹介で荏原郡馬込(現在の大田区南馬込4丁目)に家を建てて移りました。

馬込の家

当時の馬込の家の事を宇野千代は次のように語っています。

「私が始めて建てた家は藁葺き屋根であった。大森馬込の大根畑の中に建てた。…そんな家でも、ちょっとした工夫はしてあった。南向きに大きな出窓のある六畳の部屋が一間、残りの空間を広い叩土にして、北側に厠がある。…そのたった六畳一間の部屋で、二人の人間が暮していたのである。尾崎士郎と一緒だった。そこで寝起きもし、食事もし、仕事もした。どうしてそれが出来たのか、いまでは信じられない。満でいうと、そのとき私は二十三歳であった。二、三年経った。大根畑の隣地の丘にあった家が火事で焼けた。その焼け跡を借りて、また一軒建てた。必要だからではない。ちょっと建てて見たかったからである。今度の家は赤い屋根の洋館であった。」

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