【西馬込/文化】尾崎 士郎(おざき しろう)1898年2月5日 – 1964年2月19日。小説家。
愛知県幡豆郡横須賀村(現吉良町)生まれ。早稲田大学政治科を中退し、大逆事件真相解明の目的で売文社に拠る。同社を本拠に活動していた高畠素之を追って国家社会主義に身を投じる。1921年に時事新報の懸賞小説で『獄中より』が第二席で入選し、以後本格的に小説家として身を立てる様になる。1933年から都新聞に『人生劇場』を連載し、これが大ベストセラーとなって以後20年以上も執筆し続ける大長編となる。その一方で戦前に「文芸日本」戦後に「風報」を主宰した。(Wiki)
尾崎士郎の代表作
「人生劇場」(昭和8年1933年)。大ベストセラーとなって以後20年以上も執筆し続ける。
歴史小説『石田三成』『真田幸村』『篝火』など。
尾崎士郎の言葉
「私は乾坤一布衣であります」
意味:乾坤(けんこん) 天地のこと
布衣(ほい) 粗末な衣を着た庶民のこと
宇野千代との出会い
大正10年(1921年 当時23歳)時事新報の懸賞短編小説応募作品「獄中より」が二位となったその時、一位の入賞作品が「脂粉の顔」で宇野千代でした。それがきっかけで、北海道から上京していた宇野千代と急接近し、都新聞の上泉秀信の勧めで馬込村中井1578番地に居を構えることになりました。
文士村「馬込放送局」のガキ大将
尾崎士郎は、知り合いの文士達に馬込住まいをしきりに勧めていました。その甲斐あってか馬込の尾崎・宇野家には、以前から馬込に住む文士と新たに移ってきた文士たちとがかわるがわるやってくるようになります。
士郎は、人に愛されすぎるのが唯一の欠点のような男、いつしか馬込の-ガキ大将的な存在になり、大将宅は誰が来ようが訪問客があれば酒になり、飲めばたちまち議論となる-のでした。
士郎の作品「空想部落」によれば、-村の出来事が余るところなく彼(士郎)の書斎に伝達されると、こんどはそれが嘘と誇張にこねかえされてみるみるうちに村中に広がってゆく-そんな士朗宅についた呼び名が『馬込放送局』だったそうです。
尾崎士郎記念館
①住所:大田区山王一丁目36番26号 午前9時から午後4時30分(建物の内部には入れません。庭側から展示をご覧いただけます。庭にはベンチとトイレがあります。)
HP:http://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/hakubutsukan/ozaki_shiro/index.html
②住所:愛知県幡豆郡吉良町大字荻原字大道通14−1
HP:http://www.town.kira.lg.jp/pub/kyouiku/bunka_sportsshisetu/kinenkan/index.htm