【西馬込/文化】馬込文士村には作家ばかりでなく芸術家たちも集まってきました。馬込文士村に縁のある芸術家の作品の一部、代表の5名、川端龍子、伊東深水、川瀬巴水、熊谷恒子、小林古径の作品を集めてみました。超一流の芸術が作品を通して感じていただけるのではないかと思います。
川端龍子
川端 龍子(かわばた りゅうし、1885年(明治18年)6月6日 – 1966年(昭和41年)4月10日)は、戦前の日本画家、俳人。弟(異母弟)は「ホトトギス」の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も「ホトトギス」同人であった。(Wiki)
伊東深水
川瀬巴水
川瀬 巴水(かわせ はすい、1883年(明治16年)5月18日 – 1957年(昭和32年)11月7日)は、日本の大正・昭和期の版画家。本名は川瀬 文治郎(かわせ ぶんじろう)。
衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく吉田博(1876-1950)らとともに新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られる。近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し旅先で写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる。アメリカの鑑定家ロバート・ミューラーの紹介によって欧米で広く知られ、国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気がある。(Wiki)
熊谷恒子
1893年(明治26年)、京都で生まれる。 1931年(昭和6年)、岡山高蔭に師事。 1933年(昭和8年)、東日・大毎賞受賞。 1936年(昭和11年)から大田区馬込(現記念館)に居住。 1963年(昭和38年)、日展審査員。 1965年(昭和40年)、皇太子妃美智子殿下にご進講。 1957年(昭和42年)、大東文化大教授。 1976年(昭和51年)、東京日本橋の高島屋にて熊谷恒子展を開催。 1980年(昭和55年)、勲四等宝冠章を受章。 1982年(昭和57年)、卒寿記念熊谷恒子展開催。 1986年(昭和61年)、死去。(熊谷恒子記念館より)
小林古径
小林 古径(こばやし こけい、1883年2月11日 – 1957年4月3日)は、大正~昭和期の日本画家。
1883年、新潟県高田(現上越市)に生まれる。39歳の1922年より前田青邨と共に渡欧留学。翌1923年、大英博物館で中国・東晋の名画「女史箴図巻」(じょししんずかん)を模写している。「蚕の吐く糸のような」と評される線描が特色のこの中国古典を研究することによって、古径は東洋絵画の命である線描の技術を高めた。代表作「髪」は、このような古径の線描の特色をいかんなく発揮した名作である。簡潔に力強く描かれた線と単純な色彩で、髪の毛一本一本や美しく縁取られた顔の輪郭、半裸の女性の体温や皮膚の柔らかい感触まで、繊細に描き出している。「髪」は、裸体画として、日本で初めて切手のデザインとなった。1944年、東京美術学校教授に就任。1950年、文化勲章受章。