文化・芸術

南馬込に住んでいた! 萩原朔太郎 ~ 月に吠えた詩人

投稿日:2010年7月26日 更新日:

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【西馬込/文化】

萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 – 1942年(昭和17年)5月11日)は、大正・昭和期の詩人、作家。群馬県東群馬郡北曲輪町(現:前橋市千代田町)に、開業医の父・密蔵と母・ケイの長子として生まれる。旧制県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)の在学中に『野守』という回覧雑誌を編集して短歌を発表した。1907年第五高等学校に入学し、翌年第六高等学校に転校するが、中退。1910年・1911年の2度慶應義塾大学予科に入学するが、どちらも短期間で退学した。
1919年5月に上田稲子と結婚し、葉子と明子の2女をもうけるが、1929年6月に離婚。1938年4月、大谷美津子と再婚するが、1年余りで離婚した。昭和15年(1942年)「帰郷者」で透谷賞受賞。1942年に急性肺炎で死去。享年56。(出典:Wiki)

馬込と萩原朔太郎

大正14年(39歳)、前橋を出て大井町(東京都品川区)、田端(東京都北区)、鎌倉、と転々とした後、大正15年(40才)11月、馬込(南馬込3丁目)にやってきます。当時の様子を「自然の中に生命があり、力があり、生活があるということを、私は馬込に来てはじめて学んだ」と言っています。また一方で彼の馬込時代は、ダンスにはまったり、妻と不和になったり、次女の明子が大病を患ったり、と波乱に満ちていたようです。仕事の上では、大正7年(33歳)から書きためた詩論を『詩の原理』という形で刊行したり(昭和3年 43歳)、朔太郎の後期を代表する詩集『氷島』に所収の作品を書いたりしています。また朔太郎の勧めで馬込村に住んだ室生犀星とも親しくしていたようです。

作品

北原白秋に師事し、1917年2月刊行の処女詩集『月に吠える』で全国に名を知られるようになりました。続いて1923年1月に『青猫』を刊行。これは『月に吠える』と並ぶ朔太郎の代表作とされています。

【悲しい月夜】 (「月に吠える」より)

ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰氣くさい聲をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる。
波止場のくらい石垣で。
いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
靑白いふしあはせの犬よ。

【白い月】    (「月に吠える」より)

はげしいむし齒のいたみから、
ふくれあがつた頬つぺたをかかへながら、
わたしは棗の木の下を掘つてゐた、
なにかの草の種を蒔かうとして、
きやしやの指を泥だらけにしながら、
つめたい地べたを堀つくりかへした、
ああ、わたしはそれをおぼえてゐる、
うすらさむい日のくれがたに、
まあたらしい穴の下で、
ちろ、ちろ、とみみずがうごいてゐた、
そのとき低い建物のうしろから、
まつしろい女の耳を、
つるつるとなでるやうに月があがつた、
月があがつた。

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